辛子明太子って日本古来の食べ物みたいにうられてるけど
1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2024年05月16日(木) 14時51分35秒
子供の頃には無かったよな
2投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2024年05月16日(木) 15時05分48秒
おめぇの子供の頃いうのは昭和一桁の時代のことかい?
3投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛アホー  投稿日:2024年05月16日(木) 15時36分52秒
戦前の朝鮮半島においては、日本人が明太子の製造卸問屋を経営していたことを示す資料と記録がある。
明治40年頃に樋口伊都羽(ひぐちいづは)が創業したもので、朝鮮半島の代表的な明太子製造問屋であった。
樋口は漁業に携わっていたが、漁民の自家用以外は捨てられるだけのスケトウダラの卵巣を日本向けに商品化することを考えつき、
「明太子製造元祖ヒ(マルヒ)、創業明治40年、樋口伊都羽商店」という看板を掲げて釜山で商売を始めた。
商売は繁盛し日本への輸出のほか、台湾、中国にその需要を増やした。樋口は終戦までの38年間経営していた。
4投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2024年05月16日(木) 15時41分44秒
1975年に山陽新幹線が博多駅まで繋がり、東京博多間全通後に設立された福さ屋が
新幹線駅や東京の三越百貨店等へ販路を築き、全国的に知れ渡るようになった
5投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2024年05月16日(木) 15時43分24秒
辛子明太子のルーツ
すけとうだらの卵巣を加工して食べる食文化は、17世紀から18世紀にかけて朝鮮半島で広まっていたといわれています。
赤唐辛子やニンニクでまぶした「キムチ」や「コチュジャン」などと同じように、辛子明太子は古くから朝鮮半島の伝統的食品の一つとなっており、昭和の初期から日本でも食べられるようになりました。
6投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛アホー  投稿日:2024年05月16日(木) 17時44分21秒
めんたいピリリいう映画があってのぉ
7投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2024年05月16日(木) 17時48分42秒
李氏朝鮮ってスケトウダラが取れるような遠洋漁業出来るんだっけ?
陸から見えなくなるところまで行ったら死罪って昔見たような
8投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2024年05月16日(木) 18時19分30秒
竹島って陸から見えるか?
9投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛アホー  投稿日:2024年05月16日(木) 19時54分20秒
韓国からは見えますね
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