医療の崩壊
73投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2008年02月26日(火) 16時07分48秒
医療制度崩壊の元凶

最先端医療の普及に追いつかぬ国庫負担

社会時評 高村薫



中日新聞 2008年2月12日



 近年、大都市でも「搬送先が見つからずに救急患者が死亡する例が相次ぎ、ふだん医療に関心のない一物書きでもさすがに、いったいこの国の医療制度に何が起きているのかと考えるようになった。
 ところで私たちは、医療制度の現状について、何をどこまで知っているだろうか。たとえば医師不足については、臨床研修制度の導入で研修医が自由に勤務先を選択できるようになった結果、これまで大学病院の医局が地方へ医師を派遣してきた仕組みが消えて、地方病院が医師不足になったことは知っている。しかし、それだけでここまで急激に医師が足りなくなるはずがない。いま起きているのは、医師の絶対数の不足である。
 それでは、一九八〇年代に医療費抑制政策の一つとして始まった医師養成数削減が、いまごろ効いてきたのだろうか。たしかに人口当たりの医師数は、先進諸国に比べて少ないと言われる。しかし、これまで日本の医療がそれで回ってきたことを考えると、単純な多い少ないではなく、むしろ近年の医療の急速な高度化に見合うだけの医師数が、結果的に確保できていないということだろう。これは端的に、医療の進化に制度が追いついていないことを意味する。
 この医師不足は直ちに病院の勤務医不足と、現場の医師のの医師の過酷な労働につながり、各地で一次・二次救急からの病院の撤退が起きていると言われる。また地方では、通常の診療も医師不足で立ち行かず、産婦人科や小児科の閉鎖はもとより、病院そのものの廃業も進んでいるという。
 してみれば、これはもはや医師不足だけではない病院経営の問題であり、医療にかかる諸経費が、国の決めた診療報酬で賄えない事態を意味している。要は採算の問題であり、国民皆保険制度と、それを支える医療費の国庫負担の問題である。医師不足の問題も、結局はここへ行き着く。

 思えば、国が医療費抑制を掲げ始めたのは八〇年代の行財政改革たった。以来、私たちは医療費の抑制という大枠の正しさを何となく信じてきたのだが、その結果がこれでは、どこかが間違っていたということになる。とくに小泉政権以降社会保障費の上限が決められ、療養型病床の削減や診療報酬の切り下げ、そして国民の保険料値上げと窓口負担増が進んだ結果、私たち庶民は病院にゆく回数を減らし、病院の経営は二重に苦しくなったと言われる。かくして赤字補填のための自治体の負担はますます増え、医師の補充もできず、みんな揃って首が回らなくなって、おちおち病気にもなれない生活が現実になっているのである。
 いったい元凶はどこにあったのか。国の財政削減の方針がそのまま医療政策に適用された安易さも、国民生活の基本である医療を市場原理に任せようとした無謀も、要は、国民皆保険制度を守る強い意思が、国にも私たち自身にも欠けていたということではないだろうか。時代の状況や、医療の進歩に伴う経費の増大に合わせて、医療制度のあるべき姿は常に変わってゆかざるを得ないのに、そのための合意を私たちは一度もつくってこなかったのではないか。ほぼ半世紀前に完成した国民皆保険の恩恵は計り知れないものがあったが、その担い手が、財政基盤の異なる国・企業・市町村に分かれている複雑さも、いまとなっては制度の不合理を助長している。実際、夜中に倒れたが最後、覚悟しなければならないような医療の現状なのに、市町村の保険料の月々の負担はほとんどの場合、絶句するほど高い。その一方で、MRI(磁気共鳴画像装置)など当たり前という高度医療の普及が、結果的に高度な手術、高度な管理を当たり前にし、医療全般により多くの専門医や看護師を必要とするようになったこと。そして、私たちの誰もが等しくその高度医療を求めるようになったことが、この医療費の増大を招いているという現実がある。
 結局、私たちが国民皆保険制度の維持と、最先端の高度医療の両方を求めるのなら、国は診療報酬を上げ、先進諸国並みに国庫負担を大幅に増やさざるを得ないという結論にはなる。
 急患の搬送先がないような現状と、世界最先端の医療の普及のアンバランスを異常だと思わない政冶家たちが、いま、国会で道路建設推進の放談にかまけている。
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