【速報】今日の気になるニュース36 投稿
- 194投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 11/29(日) 22時57分06秒
- 核エネルギーの平和利用が一貫した主張だった
日本共産党は、もともと核エネルギーの研究・開発に賛成の立場であった。
核実験についても、かつてはソ連の核実験は「防衛的」なものとして賛成していた。
そもそも核エネルギーの平和利用について、原理的に反対したことは一度もない。
それは当然のことで典型的な進歩主義である科学的社会主義の立場に立つなら、新しい技術開発やエネルギー開発を肯定するのが当然だからである。
だからこそ終戦直後には、共産党は「光から生まれた原子、物質がエネルギーに変わる、一億年使えるコンロ」(日本共産党出版部『大衆クラブ』1949年6月号)とか、
「『原子力を動力として使えば、都市や工場のあらゆる動力が原子力で動かされ』、冷暖房自在で『飛行機、船舶その他ありとあらゆる動力として、つける』」(日本共産党当時書記長徳田球一の『原爆パンフ』)などと原子力を絶賛していた。
広島、長崎への原爆投下についても、終戦直後に批判したことはなかった。
なにしろポツダム宣言を絶賛し、占領軍を「解放軍」と評価したぐらいなので、ある意味当然のことであった。
その後、既存の原発の安全性について、厳しい批判を行ってきたことは事実である。
だがそれでも「核エネルギーの平和利用」を否定したことはなかった。
それが3・11以降、急きょ「原発ゼロの日本」を主張し始めたのである。
だが共産党の政策文書を見ると「脱原発」という表現はなく、「原発ゼロ」という表現で統一されているようだ。
原発をゼロにするための廃炉などのために、原子力の基礎研究は引き続き行うとしているが、
「平和利用」のための基礎研究は行わないということなのだろうか。
行わないとするならば、「平和利用」を主張してきた政党として、
そもそも「平和利用」という主張自体が原理的に間違っていたという総括をすべきではないのか。
そうでなければ無責任の誹りを免れないであろう。
http://www.sankei.com/column/news/151123/clm1511230009-n1.html [google変換]
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