今日の気になるニュース8  投稿
757投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 06/17(木) 02:03
>>756-757
1992年には慶南咸安郡伽揶邑道項里で馬鎧が出土し、伽揶人もやはり騎馬民族であることが確
認できる。馬鎧は魚のうろこのような四角形の鉄片が一方に340余片から構成されていた。これ
は戦場に出て行く馬の身体にまいて敵の矢や槍剣にささらないようにするための馬鎧だ。

ホン教授は「我が民族は軍馬を大事にした騎馬民族」としながら「伽揶古墳で発見された馬鎧は
昔、高句麗古墳の平南龍岡の双楹塚に描かれた馬鎧と全く同じと見ることができる」と伝えた。
扶余と韓半島を率いた騎馬民族は海の彼方、島国倭国まで勢力を広げていった。

実際に1990年から発掘調査された金海大成洞古墳群で環頭大刀など武器類および甲冑類など
騎馬と関連した遺物と共に巴形銅器・碧玉類など倭系統の遺物が出土した。当時、伽揶と日本が
交流していたと解釈される。

日本の著名な考古学者、故江上波夫は「韓半島騎馬民族が倭国を征服して再び新しい国家を作
った」として「北方騎馬民族が韓半島を経て日本の大和政権を成立させた主役」と説明した。これ
は最近になって主張されたのではない。すでに江戸時代にも騎馬民族説が提起されていた。18
世紀考証学者、藤貞幹(1732〜1797)は「日本人の大部分は百済人」と主張したことがある。

キム・ジユン記者

ソース:ニュース天地(韓国語) 騎馬民族、満州原野から日本まで
http://www.newscj.com/news/articleView.html?idxno=46981

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