今日の気になるニュース9
1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛サッカー  投稿日:2010年06月28日(月) 02時48分28秒
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469投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2010年07月20日(火) 00時46分18秒
ザイニチ(在日)が日本で生きる道

辺 真一(ビョン・ジニル、コリアレポート編集長)

作曲家つかこうへい氏が亡くなった。日本で生まれ育ちキム・ボンウン(金峰雄)という名前の同じザイニチ(在日-在日同胞を日本ではこのように呼ぶ:編集者注)としてまた、同じ年齢だったためにより一層残念な感じがする。

訃報を知ったの昨日(12日)だったが、期せずして同日、ソフトバンク社長ソン・ジョンウィ(孫正義)氏がTV東京の「カンブリア宮殿」に出演して、「ザイニチ」だったために受けた日本国内の「国籍差別」について語った。つか氏は福岡出身、ソン氏は佐賀出身で同じ九州の人だ。

つかさんが「ザイニチ」ということは名作、蒲田行進曲が1982年、世に出る前から知られていた。
もちろん、この映画で風間杜夫氏とともに出演した松坂慶子さんもそうだった。「ザイニチ」社会には、ザイニチだけが持っている水面下の人脈がある。日本芸能界およびスポーツ界、時には甲子園の出場選手まで北海道出身でも九州出身でもどこの誰でも情報が回覧板のように伝えられてくるから不思議な話である。(中略)

矢沢永吉等と共にキャロルというバンドを結成、一躍スターダムに上がったジョニー大倉氏に会って話を聞いたこともあるが、スターになって4年目にジョニー大倉氏は1975年「ザイニチ」のパク・ウナン(朴 雲煥)であることをカミングアウするやいなや人気が急落したという。それでも彼は後悔せずに自らの道を行ったし、今でもバンドとともに全国を回って韓国釜山でもコンサートを開くなど、精神的にも実に強靭だ。

筆者は今から10年前、出版社が倒産してしまったのでほとんど書店に置かれる機会がなかった「強者としての在日」というタイトルの本を出したことがあるが、序文に「在日はハンディキャップが多かったため、より一層上昇欲求が強烈だった。ゴムボールに圧力を加えれば加えるほど反発も強くなるが、同じように人も底辺に置かれれば置かれるほど反発心が強くなる」と書いた。その時、モデルとした人がつか氏、ソン・ジョンウィ氏、ジョニー大倉氏などだった。

「ザイニチ」で通名(日本の名前)がない人は珍しい。90%以上の人が持っている。民団青年会が十余年前調査した結果によれば実名を使わないで通名だけ使う人が78.2%と明らかになった。この数字を見れば日本社会では実名を使いにくい状況に置かれていることがよく分かる。今でもそうだろう。

ソン・ジョンウィ氏とは何度か会ったし、また、小学館の仕事で対談をしたこともあるが、彼は日本に帰化する時も父母の姓を捨てることを拒否した。通名の安本を使わず日本人夫人の姓を使うことも拒否し「孫」という姓に執着した。その理由について彼は「自分の実名を捨て、また、自分の過去の歴史的アイデンティティを捨ててまで、日本国籍を取らなければならない理由はない」と話した。

彼はその後、韓国を訪問して、ある講演で「私は混ざり合った文化で成長した。今、日本で事業を展開しているけれど、ソフトバンクを設立する前は米国で小さな事業をした。今でも米国に多くの友人がいる。そして家族と先祖も韓国人だ。私は100%コリアンであることを誇らしいと考える」と話した。
470投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2010年07月20日(火) 00時47分52秒
469の続き
その言葉を見ると、やはり、つか氏と同じ九州(大分)出身の歌手にしきのあきら(錦野亘)が著書「最後のプロポーズ」に書いた内容が浮かび上がった。

「私のからだの中に流れているのはまちがいなく韓国人の血だが、私自身は生まれた時から日本人として育ったし、韓国人の自分を意識したことはなかった。時々感じたのはおばあさんの家に行った時、いつもキムチを漬けたことで親戚の大人たちが日本語でない言葉を使っていたということだ。」

「ただし、国籍とは別に時々私の中に韓国人の血が流れていることを実感する時がある。生まれた時から持っている私の顔付きが韓国人で、私の血を受け継いだ娘たちのスタイルを見てもそのような考えが強くわく。人に接するやり方にしても日本人とは違った感覚があって、それがいつのまにか私の中に自然に生じて育った。例をあげれば上の人に対して敬意を持って対したり、少しでも相手が年上ならばその人の前でタバコ吸うのは失礼と考えて迷ってしまう。友人に対しても'お茶でも一杯'という日本人式接待よりは'ご飯を食べて行け'という提案が好きだ。」

「私は日本人ながらも流れる血を自然に受け入れたい。それが人として当然のことで、それに自負心を持って生きている」と。

つかこうへい氏、いやキム・ボンウン氏は娘に自分が死んだら自分の根の韓国と自分が育った日本の間にある大韓海峡(対馬海峡)に骨をばらまいてくれと遺言を残したという。在日2世らしい悲哀が感じられる。合掌

以上。
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